Learning in USA


180819 仕事のついでに三里塚闘争
180916 アメリカ上陸、そしてさらばアメリカ
181007 アメリカとメキシコの狭間
191111 陰キャin海外
190526 シリコンバレー企業訪問
190714 そして帰国


 

180819 仕事のついでに三里塚闘争

 酷道や秘境駅や城跡に限らず、私が行ってみたいと憧れている場所がある。お台場に浮かぶ第六台場、青森の階段国道、北海道の絶壁にある太田山神社。アンタッチャブルな場所で言えば京都0番地や飛田新地。
 そして、成田空港問題の象徴である東峰神社
 たとえ成田空港に行くことがあったとしても東峰神社を詣でるだけの時間的余裕はないだろうと思っていた。だが、「出航当日の朝一番に成田のホテルでミーティングがあるため前泊要」という海外出張のおかげでここに行くことができた。
 海外出張の詳細はまた次回。


7月11日(水)
 中部国際空港から成田空港に向かう。国内便に乗るのは学会発表で仙台に行った大学時代以来だな。あのときは名古屋空港だったっけ。
 最初は会社の規則に従って鉄道すなわち新幹線+成田エクスプレスで行くつもりだったがこちらのほうが楽かつ安価なので空路にした。
 14時50分発、16時着。これで一日分の給料+国内出張の日当が出るのだからサラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ。


浜名湖。我が両親の家、見えるかな。

 ホテルにチェックインする。さすが成田空港に近いホテル、屋内はもちろん屋外でも使い放題の無料レンタルスマートフォンが部屋に置かれていた。
 よし、これを持って神社に向かおう。


チェックアウト後に紛失していることに気づいた場合どうなっちゃうんだろ。特に海外のお客様。

 ホテルから出ると、グーグルマップが示す道がいきなり封鎖されていた。当局と過激派との間で紛争となっている地では正確な地図が提供されていないのかと戦慄したが、ただの道路工事のようだった。
 少し遠回りして進むと、やがて両側が壁に囲われたエリアに来た。まるで8ビットPC時代の3Dゲーム、SeeNaのよう。壁はところどころ透明になっており、空港敷地内からこちらを監視している。少し前まではほぼ必ずと言っていいほど職務質問がおこなわれていたらしいが、今回はそのようなことはなかった。
 そしてとうとうやって来た、東峰神社。と言っても特に見るものはない。実際に来たことが重要なのだ。
 もう少し歩くと、空港反対派の地域住民(を隠れ蓑とした新左翼)との衝突で殉職した警察官の慰霊碑がある。ここで写真を撮ることはなんとなく躊躇われたので合掌したのみで写真撮影はしなかった。


闘争と今なお買収できていない土地のせいでどれだけの国益が損なわれてきたことか。

3DSのゲームに描かれている成田空港。

ここまではそれなりに交通量があった。

行き止まりまでの道はさすがに他に通る人もクルマもなかった。三本の縦線が透明になっているところ。

はるばる来たぜ東峰神社。無人なので御朱印をいただくこともできない。

神社をかすめるように飛ぶ飛行機を撮影することはできなかった。

土地買収に応じていない人たちがまだこの辺りに住んでいる。

リーチ一発革マル殲滅ヅモを思い出した。

 そして翌日。私ははじめてアメリカに行くことになる。


 

180916 アメリカ上陸、そしてさらばアメリカ

 2017年。係長級の相棒が海外研修に行った。エグゼクティブがIT企業の本場・シリコンバレーを視察するという内容で、他社からの参加者は部長級がほとんど、社長や会長も珍しくないといったまさにエグゼクティブなツアーだったそうな。
 その際、来年はお前だと上司から指名されたが、エグゼクティブ向けの研修ならば参加しないもしくはもっと偉い人が参加するのが適切であろうと考えていた。

 2018年。その主催団体から海外研修のチラシが届いた。今回はエグゼクティブ向けの内容ではなかった。
 私は「いやいやいやいや私めなどそんなそんな畏れ多い」と八代氏のように謝絶したが、ビジネスにおいて謙虚は美徳ではない。かつてYone氏はカノジョに結婚を申し込もうとしている段階でアメリカ出向(だっけ?)を打診されて必死に断ったというが、残念ながら私には絶対に駄目という理由はない。ただ単に、家に帰ってテレビゲームをしてという日常が崩れるのを避けたいだけだ。結局、私ともう一人がこの研修に参加することになった。
 そしてこの日。私ははじめてアメリカに行くことになる。


7月12日(木)
 自分のスマホで海外でインターネットをするにはレンタルWi-Fiが必要だ。あらかじめ予約しておいたのだが、予約した品を受け取る場所の設定を失敗してしまった。出発日に、前日セントレアからの便が到着したターミナルで受け取り。それって駄目じゃん。団体行動の中で別ターミナルにルーターをもらいに行く余裕がないかも?!
 そのことに前日に気づいた私は朝一番のホテルのバスで成田空港に向かう。営業開始前からオープンを待ち、7時になったら一番でルーターをもらう。そしてまたホテルに戻る。ああ、忙しいなもう!

 午前中のミーティングでは、主催者が用意した教材を我々自身が持ち運ぶよう指示された。そんなの余裕さ、我がスーツケースには着替えしか入っていないのだから。
 午後になると同一日程で別コースの仲間が集まり、バスで成田空港に向かう。自分と同じコースは9名、別コースが約20名、合計約30名+スタッフという一団だ。

 成田空港はあまりにも広く、あちこち見て回るだけでも十分に楽しかった。歩き疲れてラウンジに入ろうと案内図で調べたら、航空会社のラウンジはあるもののカード会社のラウンジが見つからない。そんなはずはないとスマホで調べると、カード会社のラウンジは出国手続き前のエリアにあるらしかった。

 ユナイテッド航空ロサンゼルス行きは17時10分発で約10時間かかる。アメリカ西海岸(夏時間)との時差は▲16時間。日付変更線をまたぐので到着は出発日の11時、所要時間はマイナス6時間という不思議な現象が起こる。北極点をぐるぐる回って日付変更線を何回も越えたとき日付がどうなるのか、アクションクイズで挑戦してみたいものだ。


シートのディスプレイで見れるのは映画だけではない。こんなのも見れる。

 初日は時差に慣れるためにお勉強なしの弾丸ツアー。それゆえ、旅程は冊子にもしっかりとは書かれておらず事前勉強もしていない。
 最初の目的地はファーマーズマーケット。ああ、それ、知ってるよ。固有名詞ではなく一般名詞なんだよね。日本にもあるよね。と思ったらここは日本語のパンフレットがある(そして、日本語のウェブサイトもある)ほどに有名なザ・オリジナル・ファーマーズマーケットだった。
 ここで最初の英語で注文する食事(飛行機もそうだけど)
 敷地の一角に本屋があったのでゲーム雑誌を探したのだが、マックの雑誌はあったがゲームの雑誌はなかった。だが、オライリー社のモノづくり雑誌『Make:』を見つけたときは変な声が出たものだ。


farmers market clock towerでググるとウィキペディアがヒットする。

シェアなキックボード。まあ、私には縁のないものだ。と、このときは思っていた。

 次にバスが向かったのはなんとハリウッド。ただ通り過ぎるだけかと思ったらここでもしっかりと時間を確保してくれていた。こういうことがあるから教養としてある程度の映画は見ておかなくてはならないのだ。
 事前に「CDを押し売りしてくる人がいるので構わないように」と注意を受けていたが、仲間の一人が買わされたりもした。


遠くにハリウッドサインが見える。

実際は皆こんな感じで撮影している。

近すぎて全体像がわかりづらいがチャイニーズシアター。スターの手形はここにある。
アカデミー賞授賞式がおこなわれレッドカーペットが敷かれるドルビーシアターにも寄った。

ジェーン・ラッセルとマリリン・モンローの手形。マイケル・ジャクソンとかハンフリー・ボガードとか
ドナルド・ダックとかアーノルド・シュワルツェネッガーとか、有名どころは一通り撮影した、つもり。

 バスはスーパーに寄る。事前にデッドライジングを再プレイしていた私はスーパーの構造や品揃えに大きな関心を抱いていたが、だからといって商業施設でやたらめったら写真を撮れるものではない。
 その後ホテルに到着する。ホテルは日本の新聞がロビーに置かれているほどに日本人向けなホテルだ。
 仲間たち9人で外に食べに行く。むろん、私がその中心人物であるはずがない。行ったのはメキシコ料理屋。20年ぶりにコロナビールを飲んだ。大学時代、ワタナベがコロナビールにライムを入れて飲むのにこだわっていたのを思い出す。


この日(何時間あったんだ?)の後半のGoogleタイムライン。


7月13日(金)
 この日から研修の本番。といっても今日も半分以上移動日だったりする。研修は、豪華(?)客船でおこなわれるのだ。
 そのためにまずは港に向かう。ロサンゼルスの南にある港湾都市、ロングビーチ。
 ちなみにこの日の深夜、東京ではタモリ倶楽部で「ファッション界に地図デザインの波が到来!? 東京MAPコレクション2018」が放映され、この辺りの地図が大写しになっている。


おっぱ…水着をじっくり見るとロングビーチとかイーストビレッジとか書いてある。

でもやっぱり地図には見えないな。

 ロングビーチにはクイーンエリザベス号の仲間のクイーンメリー号が停泊している。といっても引退済みで、現在はホテルやレストランになっているらしい。
 我々が乗るのはこれではなく、カーニバルインスピレーション号という船。カーニバルというクルーズ会社は、ウィキペディアによると「上級クルーズブランドを三ツ星級レストランと例えるなら、カーニバルはファーストフード店のようなノリとサービスでしかない」といったレベル。
 まあ、クルーズ船自体がはじめての体験なので、カジュアルだろうとラグジュアリーだろうと違いはわからないのだが。


クイーンメリー号。これに関する情報は、いま慌てて調べた。

カーニバルインスピレーション号。赤パンツの兄ちゃんは私と同室の相棒。

吹き抜けのロビー。これが船の中だなんて!

二人部屋。狭っ! もちろんより高額で広い部屋もある。

ビュッフェ。24時間営業で、食べ放題。

屋外プールがあることは事前に知っていたが、もちろん水着は持ってきていない。

 結局この日はちょっとした座学があっただけだった。

 船上ではレンタルWiFiは使えない。船が用意している別料金のWiFiサービスを使う。ロビーで申し込むわけではなく、指示されたサイトにアクセスしてカード(部屋の鍵と支払いを兼ねている)の番号を入力するだけだ。
 もちろんネットを見るためではない。私を送り出してくれた会社に無事の報告をするためだ。
 だが、船内WiFiでは、ウェブサイトを見ることはできたが会社にメールを送ることができなかった。httpはOKだがpopやsmtpはNGといった制限があるのだろうか。と悩んだが、ならばhttpベースで動くメールを使えばよいと思いつき、ウェブサイトからヤフーメールを送った。

 さあ、翌日からが研修の本番だ。


 

181007 アメリカとメキシコの狭間

7月14日(土)
 今回の研修のメインテーマはデザイン思考。その本場・IDEO社で活躍したことがある日本人デザイナーを講師に、船内でデザイン思考を身につけるというもの。
 事前に「日本人の余暇の過ごし方」というテーマで写真を撮ってこいという宿題を受けていた。私自身の余暇の過ごし方といえばアレやコレやソレだが、独り者の私はその姿を写真に撮ることはできない。そこであちこちに行って写真を撮ったり昔の写真を引っ張り出したりした。


テニスの練習をする祖父と孫。撮影するにあたりちゃんと声掛けをしましたよ。

東京出張の際には皇居ランナーをパチリ。これは半蔵門だ。

オカザえもん(って、愛知県民以外にわかるのか?)と一緒に写真を撮る人。

他人ばかりではよくないと思い、日曜大工をする父の姿も。

 写真を仲間で見せあい、観察し、共感を探す。
 そして日本を離れたクルーズ船という非日常空間でさらなる余暇の過ごし方を観察し、新しい価値を創造していく。船内のあらゆる活動が研修の材料だ。
 もちろん、土日曜日も研修だから会社からは給料は出る。サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ。


船だからバリアフリーには限りがある。それでも車椅子で遊びに来ちゃう。だって遊びたいんだもん。

これはクルーズ船のマスコットキャラ? 何を模しているのかよくわからん。

こっちはツアー客が用意したコスプレだろう。とは思っていたが、そういうキャラがいるのか!

カジノ。夜、営業中の写真はさすがに撮れません。


7月15日(日)
 クルーズ船はエンセナダという地に寄港する。
 エンセナダはアメリカではなくメキシコの街。そこに立ち入るのにパスポートは必要だが、ハンコは押されない。長崎の出島のように行ける場所が限られている街と思っていたのだが、道はどこまでも続いていた。


超巨大なメキシコ国旗がはためく広場。

確かにアメリカとは空気が違うね。麻薬カルテルがドンパチやってはいなかった。

メキシコといえば覆面レスラー。普通に売ってたのは観光地だからか。

骸骨細工。メキシコでは骸骨は身近な存在なのだ。布袋様がいたり三猿がいたりとなかなかカオス。

こんなのもあるよ。サコちゃん、いかが(セクハラ)。

それともこういうのがお好みですか(セクハラ)。

 下船は朝8時、船の出港は17時。だが、研修中のわれわれは14時には船に戻り、船での体験と同じくエンセナダでの体験も織り込んで課題を作り上げていく。
 デザイン思考は考え方だけではない。早い段階でアイデアをカタチにし、より良いモノにしていくというのもデザイン思考の重要なステップだ。そのために主催者はスマホからワイヤレスで印刷できるプリンタやさまざまな工作道具を用意していたのだ(初日の午前に渡されたのがこれら)

 私は自分と仲間の写真および船での体験からいくつかの新しい価値を思いついていた。そして、エンセナダでの体験を経て、それはより確固なものとなった。
 事前課題で私は皇居ランナーの写真を撮ったのだが、偶然にも仲間の一人は皇居ランナー用のシャワー施設を撮っていた。なぜわざわざ走るのか。デブ症もとい出無精な私には理解しがたいことだが、きっと走ることが楽しいのだろう。その一方で(肥満体であることを除けば)体に異状がなさそうな人が電動スクーターに乗っているのを見たし、クルーズ船には車椅子のお客さんがいた。足が不自由な人でも、歩くのが面倒くさい人でも、健常者でも、皆共通に移動することを楽しめる、そんなモビリティがあると素敵だ。
 それを思いついたとき、私はロボノイドを連想していた。未来少年コナンに出てくるアレだ。だが、二本脚で自由に走り回るのは技術的コスト的に厳しいだろう。今回の課題はそういったリアリティを考慮すべしという条件はないが、だからといって地に足が着かない夢を語るつもりはない。そもそも、私が披露したい新しい価値は福祉用具ではない。スケボーや竹馬と同様、練習が必要だがマスターすると楽しい運動器具だ。そして、だからこそ、完璧な機能は求めない。
 そんなこんなで、トコトコ歩くおもちゃに人が乗れるようなイメージの新たな乗り物を紙コップで試作してみせた。

 もう一つ、船上ではボンヤリしていたがメキシコ上陸でカタチとなったアイデアもあった。
 オカザえもん。仲間が撮影してきたとらのあな系列の結婚相談所に皇居ランナー用のシャワー施設。船内で見たコスプレ。エンセナダの店先に並ぶ覆面。そこで覆面をかぶってポーズをとるという貴重な経験をしたこと。そうだ、コスプレがもっと身近になったら、面白いんじゃね?
 新しい価値はモノでなくシステムでも良いかと講師に尋ねたところ、試作やプレゼンが大変だがダメではないとのことだったのでコスプレを身近にするアイデアを深く考えていった。
 なぜ現時点ではコスプレは限られた場でしかできないのか。コスプレをやってみたいけどできない人は何がネックになっているのか。その疑問に対する答え、それはコスプレを許容する場の提供。手ぶらで来て、コスって、なりきって、写真を撮って、帰る。そんな施設があったらコスプレの裾野が広がるのではないか。
 と言ってもそれをカタチにするのは確かに難しそうだ。受付の人にコスプレをさせてコスプレ施設であることを示そう。コスプレであることがわかるようなキャラ…プリキュアならありかもしれないが私には作ることができない。ドラえもんなら粘土で作れるが人がコスプレしているようには見えないだろう。粘土で作れて漫画キャラであることがわかるようなデザイン…そうだ、ツンツン頭を黄色く塗ってオレンジ色の服を着せればドラゴンボールの孫悟空になるな、これでいこう。そしてお客さんが自由に選んで着られるコスチュームの例として、エンセナダで買った子供向けマスク+マントを展示する。こんな感じかな、デザイン思考のラピッドプロトタイピングに則ったものだと断言することはできないけど。

 今回の課題は、最終的に「2023年東京、代官山付近にライフスタイルショップがオープン」という設定で各自の新しい価値をプレゼンしていく。店名やユニフォーム(支給された白Tシャツに自分たちでデザインする)も仲間たちで決める。「自分らしさ」「ありのまま」などいくつかのキーワードが出され、「『ありのまま』ってアナ雪かよ」「じゃあレリゴーにするか」「Let it beにしよう、ビートルズの」ということで店名はLet it beになった。
 プレゼンの場では受付の人のセリフとして野沢雅子のモノマネを持ちネタにしている芸人のごとく「オッス! オラ野沢雅子!」とやって皆の笑いを取った。…つもりだったが、後で仲間に聞いたところ私は間違えて「オラ野沢直子!」と言っていたらしい。


赤と青のカラーリングはブリキのおもちゃをイメージしている。人の下半身を作るほうが大変だった。

土産物屋にて。「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍」とか言いそう。

ツンツンの金髪、オレンジの道着。顔は書かない。コスプレだから、悟空に似すぎてもダメなのだ。

店で着用し簡易版を買ったこれは『ナチョ・リブレ 覆面の神様』という映画の覆面らしい。

仲間の作品。プロレス人形に粘土を取り付けてどこでも寝られる布団、麦わら帽子+紙のVRハットなど。

お揃いの「Let it be」Tシャツでパチリ。これ着て船内を歩いてたら「オー! Let it be!」と言われた。

別チームの作品。「URA」が意味するものとは?

別チームの作品。商品札があるのは我がチームのみだが、私の発案によるものだ。

 これで船上研修は終わり。翌日には下船してサンフランシスコに向かう。


ときどき位置情報が飛ぶのが実に残念。スマホのせい? Googleのせい?


 

191111 陰キャin海外

 研修のメインはデザイン思考だが、学びはそれだけではない。チームの3人は各自が役割を担い委員会活動をしていく。委員は「リーダー委員」「グローバル委員」「パーティー委員」の3種類。リーダー委員会とグローバル委員は読んで字の如しの内容、そしてパーティー委員は船旅の最終日におこなわれるパーティーを企画する係。ガイジンさんに話しかけるのも怖いし、パーティーを考えるのも私らしくない。そんな消極的な理由で私はリーダー委員に立候補した。そしたら3人チームのリーダーなだけでなく、よりによってデザイン思考コース全体(9人)のリーダー委員長になってしまった。もっとも、リーダー委員長の仕事は全員(くどいようだが、9人)の点呼を取るくらいなもの。この海外研修はデザイン思考コースとリーダーシップコースから成り、海外研修全体のリーダーとしてはリーダーシップコースのリーダー委員長にお任せになってしまった。

 パーティー委員の面々は夕食(24時間営業のビュッフェでなく、豪華なダイニング)の時間も割いて打ち合わせをするなどしてパーティーの内容を考えたようだ。ハリウッドでCDの押し売り被害に遭った人がいたが、その人はパーティー委員だったので、そのCDはみごとパーティーでの景品となった。
 グローバル委員は国際交流をレポートとして提出するのが宿題。我がチームはエンセナダ上陸時にその宿題をこなすことに決めた。エンセナダの公園に「世界人類が平和でありますように」のポールがあったことから、お土産屋さんでメキシコと日本について尋ね、また大通りにある著名なレストランでなく地元の人たちが使うような食堂を教えてもらい、いくつかの単語をスペイン語で教えてもらった。…私ではなく、私以外の仲間が。私は最初の土産物屋で覆面をかぶってフォー!とやった時点で満足してしまい、宿題については協力する気がまったくなかった。リーダーなのに。

 カジノでは200ドルをコインに換えた。ルーレットで00に置いて見事当て、しかもその瞬間を仲間に目撃されたのは感慨深い出来事だが、実はそれ以外はさっぱりだった(赤黒や大中小のアウトサイドベットはしなかった)。ブラックジャックでは他のお客さんと一緒にプレイしたときはけっこうなプラス傾向だったのだが、ディーラーと一対一の勝負になってからはどんどん溶かされていった。もっとも、苦労してコインを得たはいいがそれを換金する英語力も度胸もなかったのでこの200ドルは露と消えてなくなる運命だったのだが。
 もちろん、プール・バー・ジムといった、まったく利用していない施設も多数ある。


スポーツスタッキングかと思ったら高く高く積む競争だった。もちろん第三者による撮影。

我がチーム(研修のチームとは別)はゲーム大会で優勝し、講師から記念のカードをいただいたのだった。

お土産屋さんに教えてもらったローカルなタコス屋に行く。写真の二人がチームの仲間。

この写真の中にはいないが、こういうお店に行ったチームもあった。


7月16日(月)
 クルーズ船から下船し、空路サンフランシスコに向かう。この日も一日移動日だ。サンフランシスコでの宿泊地はホテル ウィットコム。築100年、かつては市庁舎として使われたこともあるという由緒正しいホテルだ。古臭いという言い方もできる。
 仲間の中にプライベートでサンフランシスコに来たことがある人がいて、皆でシェアサイクルにて著名な観光地・フィッシャーマンズワーフに行くことになった。シェアサイクルとはさすがアメリカ、さすがサンフランシスコ。そう思っていたが、田舎者で出無精な私が知らなかっただけで東京でもビッグサイトの近くなどにシェアサイクルはあった。
 それに先んじて皆でLINEのアカウントを交換しておこうぜ!ということになったのだが、私はLINEを使っていない。慌ててLINEをインストールしたのだが、アカウントを作るにはSMSか電話番号が必要だった。SMS非対応な格安SIMを使っている私は結局LINEのアカウントを作ることができなかった。
 シェアサイクルを利用するには電話番号などデタラメでもいいもの、クレカの番号など正確な入力が必須なもの、そして暗証番号など任意だが記憶しておくべきものの入力が必要で、経験者の指示がなければ私には無理だったことだろう。

 往路は坂の少ない道を走ったが、帰路はホテルへの最短距離を進んだため坂だらけでもうヘロヘロ。途中で何度も私だけのための休憩をとってもらった。


ホテルにはカリフォルニア州の旗も掲げられている。

スマホアプリで自転車および自転車を置ける場所を確認することができる。

道中、他の旅行者に「それ、どうやって利用すんの?」と話しかけられた。私は全く対応できなかったが。

アルカトラズ島。

全員分の自転車を停めさせてもらうよう交渉するのも、料理を注文するのも、全然役に立てなかった。

99ドルの大皿を2セットだったかな。9人で割ったら全然安かった。

 お勉強はともかく、この自由時間では自分の無力さを実感したのだった。


反時計回りに行って帰ってきた。


 

190526 シリコンバレー企業訪問

 後半の日程はサンフランシスコ市内およびシリコンバレーの企業訪問。
 日本企業による企業訪問の悪いところとして、決定権のない奴がゾロゾロとついて行って見るだけ見て帰るという点が挙げられる。
 今回は本当に勉強のための企業訪問なのでじゃあ御社とビジネスを始めましょうという展開にならないことは相手も承知していると思うが、「これだから日本人は」と侮られないよう気合を入れて臨もう。…と当時の私が考えていたかどうかは記憶にない。


後述する富士フイルムオープンイノベーションハブのお土産のマウスパッド。
印刷不鮮明で見づらいのはマウスパッドだから仕方がないと諦めるしかないのだろうか。
それでよいのか富士フイルムよ。


7月17日(火)
 まず訪れたのがエイトインクスティーブ・ジョブズの依頼を受けアップルストアを作り上げたデザイン事務所だ。
 さすが日本にも事務所を構えるデザイン屋だけのことはあり、説明こそ英語だったがプレゼン資料は日本語で作ってくださった。不立文字なんて聞いたこともない言葉をアメリカで聞かされることになるとは思わなかった。
 このオフィスはカリフォルニアストリートにある。非常にインスタ映えする地だが、なかなかナイスな写真が撮れなかった。


ここをケーブルカーが通るところを撮りたいと思っていたのだが。

手前の仲間のカメラが邪魔なんだよ。年賀状で使った際は巧妙に手前を隠したりと苦労した。

一応、ケーブルカー単品の撮影もしてはいるが、これでは面白くない。自分で乗ったわけでもないし。

近くには中華街もある。


 バスの中で簡単な昼食を取り、そのままシリコンバレーへ向かう。
 次の訪問先はWiL。日本発のベンチャーキャピタルだ。スマートロック「Qrio」耳をふさがないイヤホン「ambie」を元会社から独立して創業させている。
 ここで説明をしてくださった方はシリコンバレーで戦っているだけあって日本人離れした厳しさを持つ方で、自動車業界は未来がない!と熱弁されていた。

 この会社がコンサルしている事例として、スズキの若い社員がシリコンバレーに住み込んでデザイン思考を活用して新たな電動車いすを考案し、トップに認めさせたというストーリーを紹介してくださった。
 高齢者に聞き込みをすると、そもそも電動車いすを使いたくないという意見が多かった。電動車いすのニーズがあるのは家族であって利用する高齢者ではない。それは電動車いすを使うと体力が衰えていくから。寝たきりの状態は死ぬことよりも辛い。その声を聞き、スズキの若手は会社のミッションを超えて顧客のことを考えたアイデアをかたちにしていく…。
 非常に示唆に富んだお話ではあったが、その一方で「先日私が思いついた、スケボーや竹馬と並ぶスポーツ用品としての『歩く車いす』って、けっこういい線いってるんじゃね?」と思ったものだ。

 しっかりとメモし、後日社内報告のための追加資料を求めてググってみたところ、今回の講師がビジネスサイトにまさにこのテーマについて寄稿していたことがわかった。当然のことながら講師の記事にはスズキ社員が日本に戻ってからの情報はないわけだが、その後、そちらについてもインタビュー記事が出てきた。我が海外研修の2ヶ月後に公開されたこちら。そして、昨年末に発表された電動車いすの機能を備えた歩行補助車のコンセプトモデル「kupo」開発者インタビューがつい先日アップされた。
 いやあ…これは…悔しいわ。負けたわ。いや、『歩く車いす』と比べてという意味ではなくて、この達成感が私には圧倒的に足りないのだ。


 アメリカでの体験に戻る。
 ここから次の場所に行こうとしたのだが、少し離れたところで待っていたバスが故障してしまっていた。私は一行の最後に建物を出たので混乱の様子を詳しくは知らないのだが、どうやらUberで代わりのクルマを呼んだようだ。こんなところでUberを利用することになるとは思わなかった。これは貴重な体験だ。


WiLの社屋。同社は日本にもある。

スマホをナビとしている、Uberで呼ばれた個人運転手のクルマ。


 バス故障のため少し遅れて次の場所に着く。富士フイルム オープンイノベーションハブ。デジカメによりフィルム事業が壊滅した後、同社が既存技術や新技術でどのように変革していったかを示す施設だ。カリフォルニアのほか、東京とオランダのティルブルフにもある。
 WiLの記事を書いて力尽きたのでこちらの記事を読んでください。


 夜はサンフランシスコ市内に戻り、二手に分かれて夕食。一組はラーメンマニアの提案により一風堂へ、もう一組はアメリカでラーメンはないだろうということで別の店に行った。


7月18日(水)
 この日もサンフランシスコからシリコンバレーに向かう。
 道中、グーグル社のバスとすれ違う。彼らのバスは社内でも仕事ができるようになっている。グーグルに勤めているからといって一生安泰なわけではないのだ。むしろ寝食を惜しんで仕事に没頭するような人物でないとグーグルで台頭することはできないだろう。

 第一の目的地はSAP。B2Bの会社なので意識の低いヒラリーマンである私は知らなかったのだが、ドイツに本社がある超巨大ソフトウェア企業だ。人事や財務といった企業の基幹システムを扱う。…というのが一般的な説明になるが、現在のSAP社の儲けの過半数はデータベースやAIやクラウドといった新規事業。その拠点がここSAPシリコンバレーだ。
 ここにはクルマのガレージを模した部屋がある。ガレージは若き日のビル・ヒューレットやデイブ・パッカードやスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックも利用した、アメリカ人のスタートアップの象徴とも言うべき場所だ。
 SAPでは「大きくて重い会社でも変わることができた、日本企業もきっと変われる」とたいへん心強い言葉をいただいた。


SAPの建物の一つ。実際は広大な敷地に建物が多数ある。

ポストイットが貼られたボード。片付けない。誰でも見て追加できるようになっている。

3Dプリンタやさまざまな機材が並んだ夢のような部屋。こんな場所で働きたい!

ラズパイでラピッドプロトタイピングしたスマートホーム。


 次はデザイン思考の本場、スタンフォード大学。の予定だったが、事情が変わった。見学自体は許されているが警備の関係でバスを停める場所が当初予定より遠くなってしまい、それでは時間が足りなくなるとのこと。
 そのためパロアルトを散策する時間が与えられた。むろん完全フリーではなく、おすすめスポットを紹介してくれた。
 b8taと書いてベータと読むその店はスタートアップ企業による最新IoTデバイスを扱うお店。いいなあ、こんなお店、近くにほしいなあ。客だけでなく出品者にもメリットがあり、客がどの商品に関心を持ったかが出品者にフィードバックされる仕組みだ。
 パロアルトはシリコンバレー発祥の地。ビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが使っていたガレージやスティーブ・ジョブズの自宅があるとのことだが、残念ながらそこまで行く時間はなかった。


b8ta店内。説明は小型端末でおこなわれる。

インホイールモーターを内蔵した一輪スケボー。これ

クパチーノにあるアップル本社からもっとも近いアップルストア。万引き被害、大きそう。

ハナハウスという喫茶店。スタートアップの出会いの場だ。当時は知らなかったがSAPが経営している


 当初予定の時刻まで時間をつぶし、次の場所に向かう。
 次はパロアルト研究所、略してPARC。マウスやGUIやレーザープリンタやその他いろいろな重大な発明をしている。が、スティーブ・ジョブズにパクられたりしてビジネス的には失敗したというのが一般的な認識だ。
 もちろん失敗ばかりでは21世紀まで存続しているはずもない。ここでは最新の研究のひとつについて説明していただいた。専門的すぎてよくわからなかったけど。
 ここでも既存の自動車メーカーはテスラなどに負けるだろうという評価がなされていた。会社をやめるべきだ、とその研究者は言った。自らも2回会社を起こして手放した人物だ。残念ながらそんなにフットワーク軽くないのよね。


Alto。最終的に市販はされなかったがマッキントッシュやPC-100など多くのフォロワーを生んだ。

イーサネットもPARCで開発された。


 この後、サンフランシスコに戻り、「エコシステム」という会社に行く。
 エコシステムは単に生態系という意味ではない。シリコンバレーにおいては、スタートアップがあって投資家がいて大企業があって、その中でお金や成果や人材が良循環する関係性のことをいう。もちろん成功するスタートアップはごくわずかだが、生物の生態系とは違って命まで取られるわけではない。一度や二度の失敗でへこたれることのない彼らは前述のハナハウスに限らずスターバックスでもどこでも知り合った仲間とともにあらたなスタートアップ企業を興して再挑戦していく。
 ググった程度の知識で偉そうに書くが、コワーキングスペースもシリコンバレーのエコシステムの一端を担っている。スタートアップ企業を生む土壌のひとつがコワーキングスペースだ。
 だが、そのような真面目な話とは関係なく、この「エコシステム」は日本にもいくらでもあるコワーキングスペース、平たくいえばシェアオフィスに過ぎないように思えた。モノづくり主体のメイカーならともかくデスクワークばかりのシェアオフィスを見せられても学ぶことは少ない。
 もしかしたらGoogleやFacebookやeBayやPayPalやYouTubeもこういったコワーキングスペースから生まれたのかもしれないが、主催者からそのような説明もなかった。「エコシステム」という名前に騙されてよく調べないで見学ルートに入れたのではないかと勘ぐりたくなる。

 まあ、ホテルから少し離れたエリアのサンフランシスコを見ることができたという点では良かったかな。


「エコシステム」の中。

たぶん「エコシステム」の中でより高額な個室オフィス。

共用の休憩スペース。キッチンもある。が、特筆すべきことじゃないよなあ、たぶん。

近くにあった超高層ビル。当時は知らなかったが「エコシステム」の隣にSlackの本社がある。


 これですべての研修が終わった。最後はホテルで総まとめ。船内はともかくサンフランシスコではまったく交流のなかったリーダーシップコースのメンバーと一緒に最後のセレモニーをおこなった。


リーダーシップコースのリーダーと。足の短さが際立っているな(泣)。


 この日の夜は主催者が企画したオプショナルツアー。当然料金は会社持ちだ。
 まずは日本に上陸していないハンバーガーショップ、In-N-Out Burgerに行く。注文を受けてから調理をするシステムで美味いと評判、らしい。んー、そこまでかなー。
 次にサンフランシスコの夜景を一望できるツインピークスという山(サスペンスドラマとは別)。だが、ものすごい霧で夜景を楽しむどころではなかった。
 最後にトレジャーアイランドという島。こちらはかろうじて夜景を楽しむことができた。どういう島かって? 夜だからわかんないよ。

 ホテルに戻るとまだ22時。相棒にひと声かけて夜の散歩に出かける。バスの中から見ただけのいくつかの施設を実際に見てみたかったのだ。特にサンフランシスコ講和条約の舞台となったオペラハウス。ウォーメモリアル・オペラハウスという名前だがここでいうウォーはWW2ではなくWW1のことだ。この建物の前に立った私の心中に浮かんだのは、「もっと現代史の勉強をしておくべきだった」という後悔だった。

 散歩から戻ると、相棒が別の部屋でおこなわれている飲み会に誘ってくれた。リーダーシップコースの女の子たちもいる賑やかな飲み会だ。皆で談笑し、相棒とポッキーゲームをやらされたりした。ふう、これが陽キャというやつか。
 ホテルでの写真? そんなものあるわけない。


インアンドアウト(インネンナウト)バーガーの裏のテラス。

ツインピークスにて。天候に文句は言えません。

トレジャーアイランドからみたサンフランシスコの夜景。まあ、スマホのカメラじゃこんなもんかな。

ウォーメモリアル・オペラハウス。道を挟んだ反対側にタージ・マハルのような市庁舎がある。


 明日はもう帰国だ。朝一番でもう一度散歩すると誓い、眠りにつく。陽気な雰囲気に耐えられず、飲み会を途中で退席して。


18日の旅程。トレジャーアイランドからの帰りはGoogleマップで道路スナップできなかった。


 

190714 そして帰国

7月19日(木)
 今日は日本に帰る日。これまでぜんぜん単独行動できていなかったので早起きして散策する。買って持参していた『地球の歩き方 サンフランシスコとシリコンバレー』、ぜんぜん使わなかったな。仕事だから仕方がないとはいえ、ゴールデンゲートブリッジもケーブルカーもアルカトラズ島も縁がなかったし。
 うーん、GTAがやりたくなったぞ。


あらためて、ウォーメモリアル・オペラハウス。なんかクルマがメインのような写真だ。

市庁舎。歴史的な由来は不明だがフォトジェニックではある。帝冠様式の名古屋市役所も悪くないよ。

シビックセンタープラザと呼ばれる一角にあるパイオニアモニュメント。由来は…ググってください。

周辺地図。UberにTwiiteに、この画像にはないがホテルのすぐ隣にはドルビーの本社もある。

 ホテルで朝食を取り、さっそくチェックアウト。Googleタイムラインによると9時前には空港に着いているようだ。
 当然皆で搭乗するのだが、すっかり旅行モードになった私は一人で空港を歩き回る。お土産のギラデリのチョコレートはさすがに一番大きなお店で買ったが、それ以外の土産を求めてあちこちさまよった。結局買ったのはTシャツくらいだけど。ナイスな帽子があったら買いたかったのだけど。この旅行、もとい、研修でも着用していったのは10年前から使っているやつだったので。
 飛行機は11時50分発、成田に翌日の14時35分着。往路では所要時間がマイナスという現象が起こったが、復路では辻褄を合わせるように24時間以上かかっている計算になる。
 機内で見た映画は、往路復路合わせてアサシンクリード(笑)、この年の春に公開されたばかりのパシフィック・リム:アップライジング、2017年のオリエント急行殺人事件など。


7月20日(金)

 入国して皆と別れる。セントレアへの国内便は17時発だ。じゅうぶんに時間があるのでブラブラするつもりではあったが、マジ迷子になるとは思わなかった。レンタルWiFiを返却するのにウロウロ、それから国内便カウンターを探すのにまたウロウロ。別れたはずの他の仲間たちから記念撮影するのでシャッターを押してくれと頼まれたりもした。もちろん自分は写真の中に入っていない。


「象の檻」。成田反対派の鉄塔があった場所。鉄塔はアンテナでも何でもなく離着陸妨害のためのもの。

戻ってきました名古屋。ここで降ろしてくれてもいいよ。


 後日、仲間の一人からたいへん恐縮した様子のメールが届いた。シェアサイクルの利用料金が想定以上に高価だったため謝罪をしてきたのだった。返金にも応じると書かれてあったが、文句などあろうはずがない。彼のおかげでこのような貴重な体験ができたのだから。
 カードの利用明細には確かによくわからん項目が書かれていてそれについてググったが、結局の所よくわからん。

  5000円/人は確かに高い。最上段は船でのカジノやWiFiの料金。

 また、リーダーシップコースのリーダーの人がGoogleアカウントを作り、そこに写真を共有しようと呼びかけた。全員ではないが何名かがそれに応じて写真をアップしてくれたため、これまでの記事で自分が撮ったわけではない自分が写った写真を入手することができた次第である。


 それから私は中学生の息子…じゃなかった友人および中学生になる友人の息子さんと一緒にMaker Faire東京に行ったり、ノートPCを買って機械学習を勉強したり、大垣ミニMaker Faireに行ったりとクリエイティブをカタチにすることを心がけるようになったのだった。


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