いろいろトラベル2013

140119 花火ふたたび、長野ふたたび
131124 パパとママと妹となかよし
131103 孤独ドライブ  131124 画像追加
130928 一人ドライブ
130818 ママとなかよし
130623 神奈川三都市物語
130526 パパとなかよし
130428 20年に一度のイベント
130317 冬と春のいいとこ取り



130317 冬と春のいいとこ取り

 東京モンは知らないだろうが、15年ほど前にできたナガシマリゾートの新施設・なばなの里はCMがバンバン流され、中京圏の人々を洗脳している。特に冬季はイルミネーションのイベントがあり、週末は国道1号線(東名阪 長島IC)や国道23号線(伊勢湾岸 湾岸長島はもっと南)に出るまでに2〜3時間かかるほどの混雑ぶりという。
 そんな長島に、我が社の健康保険組合の保養所がある。ウィンターイルミネーションと春の花を同時に楽しむために3月の下旬にそこを利用することを考えた。のちにYone氏が春休みに帰省すると聞き、3月末は避けて3月中旬に行くことにした。

 3月15日、金曜日。両親がクラウンで我がアパートまで来る。そして私を拾い、出発。昼間の出来事は略。
 17時になばなの里に着く。日が長くなったものだ。秋に日の入りの早さを実感することは多いが、春に日の入りの遅さを実感することは多くない。貴重な昼間を楽しもう。
 花の種類などろくに知らぬ私には、そこはまるで天上の楽園のようだ。


しだれ梅。夜になってライトアップされると
また違った表情を見せる。

しだれ梅の超拡大図。花が落ちた後のツルツルの枝が
カマキリの体内に住む寄生虫のようであるなどと
思っても決して口にしてはならない。

河津桜。写っているカップルは私とは関係ありません。

別料金の施設、ベゴニアガーデン。昔読んだ恐怖マンガの
位牌が並んでいるシーンを思い出して感動が台なし。

花の大きさは20センチくらいかな。
バラ園もあるが、この季節は閉鎖中。


 そしてイルミネーションの点灯を待つ。この日の点灯は18時10分。多くの人が池や回廊の前でスタンバイしている。別に見逃してはならない演芸などがあるわけではないのだから座って待つ必要はないと思うのだが、写真を撮るためにはいい場所を確保しなくてはならないのだろう。
 やがて音楽が流れ、ウィンターイルミネーション「冬華の競演」がはじまる。


イルミネーション前の池。
もちろんパンジーはパンジーで趣があります。

イルミネーションがはじまった。なんだ、この程度か。
大したことないなとこのときは思っていた。

完全に日が暮れてからだとここまで変わる。
ファンタスティック!

むかしナガシマスパーランドにあった施設が今はここに。
月とのツーショット。レンズが汚れてるな。

鏡池の水面に木々が写り込んでいる。
後ろの木は紅葉なので今はシーズンオフ。

夜の全景。夜といっても19時前。

光の回廊「華回廊」。入口は皆写真を撮るので混んでるが
奥に進むと皆スタスタ歩くので空いてくる。

ここがメイン。「大自然」がテーマ。最近はプロジェクション
マッピングが流行りなのでテコ入れ要だぞ!

河津桜をイメージしたピンクの回廊。
奥様と一緒に行くと子作りしたくなるかも。


 ふむ、この季節に行ったのは大正解だったようだ。園内にレストランもあることだし、名古屋市港区に実家のあるヤングファミリーは大いに行く価値があるだろう。ただし渋滞については助言できない、私が泊まった会社の保養所はなばなの里に歩いていける距離にあり渋滞には無縁だったから。



130428 20年に一度のイベント

 今年、平成25年は伊勢神宮の式年遷宮の年。カーナビを買ったばかりの3年前に個人で行った伊勢神宮に、今年は両親を連れて行くことにした。神様が引越しする神事・遷御はまだ先で、新しくなった宮を見ることができるわけではないけど。

 それにしてもこの混雑ぶり! お参りするってレベルじゃねーぞ!
 結局、外宮では祈りを捧げることができたが、内宮では最後の鳥居をくぐるのを諦めた。



2010年5月7日、金曜日。雨。

2010年5月8日、土曜日。晴れ。

2013年3月16日、土曜日。晴れ。

2010年5月7日、金曜日。雨。

2010年5月8日、土曜日。晴れ。この写真は初公開。

2013年3月16日、土…どわわわわー!

2010年の新御敷地。

2013年の新御敷地。

壁の向こうに屋根がチラリ。木の大きさも特筆モノ。


 事前に立てた計画では、16時30分発のフェリーで鳥羽から伊良湖岬まで渡ってそこから浜松に帰るつもりだった。ところが、計画に余裕を取り過ぎたようで、内宮の後に夫婦岩に行って土産の赤福を買った(おかげ横丁は激混みだったのでスルーした)とき、時刻は15時前だった。
 16時30分の前に15時20分という便があることはわかっている。また、私の計画では船が出る30分前にフェリーターミナルに着いて乗船手続きをすることになっていたが、最悪何分前までOKなのかは記憶になかった。今、夫婦岩から鳥羽港まで行って、15時20分発のフェリーに乗れるかどうか。実に微妙だった。
 果たして、15時20分発のフェリーには間に合った。クルマを停めて、切符を買って、その後わずか数分でフェリー到着の知らせ。待合所で休憩する間もなく、クルマを船に乗せるためにまた駐車場に戻る。駐車場には1時間後、16時30分発のフェリーに乗るためのクルマが別の列に停まってて、本当にギリギリというかナイスタイミングだったようだ。

 フェリーに乗り込む際、クルマからポータブルナビを取り外して船内に持ち込んだ。窓際の席に座り、GPSを受信して海上でもその軌跡を記録するためだったのだが、昨日今日と長時間運転して疲れたので絨毯エリアで爆睡してしまった。母に起こされたとき、船はすでに伊良湖に着いていた。

 わかっていたことだが、ここから浜松までが遠い。計画より1時間早いフェリーに乗れたことは幸運だった。フェリーの中で寝たとはいえ全快しているわけではないし、これからどんどん暗くなる。というか暗くなった。日が暮れたのが渥美半島の根元まで来て国道1号線に入ってきてからだったのでまだよかったが、暗くなってから1車線しかない渥美半島の狭い道路をトロトロ走る羽目になったらより疲れていたことだろう。



軌跡はここまでしか残ってません。

これが知立に戻る前までの全軌跡。


 こうして春のドライブは終わった。
 翌日曜日はのんびりと電車でアパートに帰るつもりだったが、父がクルマで送ってくれた。
 このとき私は知らなかった。月末に、また両親とドライブに行くことを。



130526 パパとなかよし

 両親があと何年元気でいられるかわからないが、仕事を卒業し夫婦ともども年金暮らしとなってから、いろいろなところに連れていってやっている。孫の顔を見せることが叶わぬ罪滅ぼしとして。
 3月末。Yone氏と会うためになばなの里と伊勢神宮に行く日をずらしたというのに、父からパソコンで書類を作ってほしいと連絡が来た。もともとこの日はYoneご一家が名古屋に帰省する日で、その途中で少しお時間を拝借するつもりだったのだが、申し訳ないがお会いするのは次の機会とさせていただこう。彼および彼のお子様とは、5月末に藤子・F・不二雄ミュージアムに一緒に行くことになっている。

 実家に行き、作ってほしいという書類の内容を問うと、それは単なる町内会の回覧板用の連絡網だった。そんなの1時間もかからないよ。よし、今から、Yoneご一家が行っているかもしれない掛川花鳥園に行くぞ!


ペンギン村からおはこんばんちは。

凛々しい顔の…名前は知らない。

エミュー牧場。モアやドードーはいない。

 鳥たちのほか、他の家族客にも注意を払って花鳥園を楽しんだが、後者については探していたものを見つけられなかった。
 と思ったら、園を出て、駐車場のクルマに行くまでの間にYoneご一家と会うことができた。
 両親はすでにスタスタと先に行ってしまっていたし、クルマの鍵は私が持っていたので、挨拶を交わしたのみで失礼させていただいた。というかYone氏は私に気づかなかったようだ、奥様は気づいてくださったというのに。

 近くにとろろ汁専門店があったのでそこで昼食をとり、掛川城に行く。ここではたいへん見事な桜を見ることができた。

 翌日は母が朝一番で名古屋の金山に行く予定があり、我がコペンで連れていくことにした。事前にナビで山崎川の位置を入れていたのだが、ちょうどこの頃コペンの調子が悪くナビを認識しなくなっており、最適なルートで山崎川に行くことができなかった。我がポータブルナビは、シガーからの給電ではなくバッテリーで駆動している状態では、目的地と現在地は示され直線でその方向が表示されるのだが、ルートや時間は表示してくれないのだ。
 直接金山駅に向かい、集合時刻の10分前に母を降ろす。山崎川には私一人で行き、約20年ぶりにここの桜を鑑賞したのだった。



掛川城。天守が復元されたのは20年近く前だが
木造だったのでちょいと話題になったことを憶えてる。

『シグルイ』の掛川城。「ぬふぅ」がいる日坂も近く。

山崎川の桜。大学6年間で、一度だけ行ったことがある。


 時は流れて黄金週間。
 なばなの里・伊勢神宮への旅行と、5月末の藤子・F・不二雄ミュージアムの間で、この連休の予定はまったく考えていなかった。
 どこか行ってみたいところはなかったかなと知恵を絞り、何とか思いついた場所・豊田ジャンクションの真下などに行ったりしたが、別に面白くとも何ともなかった。

 メシを作るのが面倒になった連休の何日目かに実家に遊びにいく。母は日帰りで兼六園に行ってみたいなどと無茶なことをいってきたが、結局は父の提案により熱海に行くことになった。より正確には、熱海沖にある離島、初島。熱海は2011年に箱根に行ったときも少しだけだけど寄ったではないか。なんでも、父の友人が熱海で板前をやっていて新幹線が開通した翌年に遊びにいったことがあるらしい。新幹線が開通した年と言われても何年のことなのかとっさにはわからないけど。
 浜松と熱海だから、新幹線はこだま号でちょうどよい。さいわい、行きも帰りもちゃんと座ることができた。

 連休の帰省はカメラを持ってくるのを忘れたので写真は撮っていないが、初島は1時間も歩けば一周してしまうほどの小ささで、特に見どころもなかった。高所作業者が使う安全帯のようなものを装備しておこなう本格的なアスレチック施設があって興味を抱いたが、待ち時間を確認したらなんと4時間待ちだった。この島に4時間も時間を潰せる場所、ないだろ。
 島にはまるでソープ街のように簡素な建物が並んでいる「食堂街」があるのでそこで昼食をとり、熱海に戻る。行きはバスで船乗り場まで来たが、帰りは駅まで歩いた。『金色夜叉』に因んだ松の木や銅像などを父は写真に撮ったようだ。それにしても熱海は海岸の向こうがすぐ丘になっており、坂だらけで年寄りには優しくない街だ。父が若かったときにはそこまで気が回らなかっただろうが。


 さらに時は流れて5月の下旬。
 川崎で、藤子・F・不二雄ミュージアムに行くためにYone氏とメールでやりとりをしているまさにその最中に、父からメールが届いた。来週あたり枇杷が取り頃なので遊びに来いというのだ。
 はいはいわかりましたよ、おみやげを持っていくから、孫、じゃなくて親戚のチビたちにも声をかけておいてください。
 神奈川の話はまた次回ということで、今回はこれまで。



県道230号線をスーっと。ただそれだけ。

『うみねこのなく頃に』をプレイしていれば楽しめたかも?

「なんたら緑園」→緑ヶ丘霊園でした。惜しい? 遠い?



130623 神奈川三都市物語

 記事が長く、また写真が多くなるので独立させました。こちら




130818 ママとなかよし

 ほこ×たての花火の回で、静岡県にふくろい遠州の花火という有名な花火大会があることを知った。Wikipediaによると1995年から大規模な大会になったそうで、それなら知らなくても仕方がない。
 そのときは「へー、そうなんだ」で終わりだったのだが、母がこの大会に行こうと考えていることを知った。父は出不精なので留守番。これは心配だ、ということで私も同行することにした。有料の花火大会なんてはじめてだ。むろん事前にチケットを買っておいてもらう。以上、5月のことである。

 そして8月10日。会場の近くにサッカー場があることを知っていたので、クルマで行ってそこから歩いていこうと考えた。ところがグダグダしていて出発が遅れてしまったので電車で行くことにした。浜松駅の近くの有料駐車場にクルマを停めて駅に行くと、コミケほどではないかもしれないが激込みだったので並ぶのを断念し、ひとつ会場寄りの天竜川駅まで再度クルマを走らせることにした。そちらには十分な駐車場はないが、すぐ近くにパチンコ屋があったのでそこを失敬。むろんこっちの駅も混んでいるが、浜松駅ほどではない。なんとか電車に乗り、会場へ。


 腹に響く轟音、大パノラマ。数十年ぶりの体験は実に貴重であった。



 その貴重な体験の中に、面白い出来事があった。
 「天空のイルミネーション」という作品がある。荒天により中止となった7月27日の隅田川花火大会でも打ち上げられる予定だったためテレビ東京のサイトに説明文があるのだが、「花火が光り輝く一瞬に、少しずつ時間差をつけ、光がすばやく移動してゆく様子をイルミネーションにたとえ、表現した作品です」というもの。こちらの大会でも司会者がマイクでナレーションしているが、そんなものをまともに聞くはずがない。流れる音楽と花火を楽しむのみだ。
 それまでの作品でもクラシックや『歴史秘話ヒストリア』のオープニングテーマなど有名な音楽が流れたが、この作品の曲は私の記憶を揺さぶった。
 それは私がまだ若く、好奇心旺盛で、電子工作に挑戦しようとしていた頃のこと。音楽に合わせて光が動くクリスマスイルミネーションの動画がネット上で話題になった。そこで使われていた曲だった。これには私も大いにインスピレーションを受けたものだ──何一つとして作り上げてはいないけど。
 あらためて調べてみるとそれはTrans-Siberian OrchestraというユニットのWizards In Winterという曲とのこと。この動画はまさにこの手のイルミネーションの先駆者で、この動画のお陰でクリスマスの定番音楽となったほど。テレビコマーシャルにも使われたらしい。とWikipediaに書いてあった。今でこそより派手な屋敷イルミネーションも多く見られるが、このときのインパクトを超えるものはない。



 それだけなら私にとって懐かしい曲だで終わりだったのだが、この曲をバックに演じられた「少しずつ時間差をつけ、光がすばやく移動してゆく様子」がこの上なくLED屋敷を連想させるもので、ニヤニヤが止まらなかった。


 私もいくつかの作品を撮影したが、ほとんどすべての作品がアップされているのでアップするのはやめておこう。


 21時に花火大会が終わり、30分かけて会場を出て、さらに30分かけて駅までたどり着く。そこには当然ながら浜松駅とは比べ物にならないほどの行列ができていた。この日は臨時列車が10分に1本以上の割合で出ているはずだが、まったく進む気配が見えない。待ちきれなくなって、行列から外れ、広い道を通って隣の駅まで歩くことにした。母は東海道を歩くサークルに入っているほどに健脚だし、駅前は交通規制がなされているが広い道ならばタクシーを捕まえることができるだろうと考えたのだ。
 しかし、いくら歩いてもタクシーは来ない。サッカー場の駐車場の前も通ったが、すっかりクルマが少なくなっていた(もともとどれほどクルマが入っていたのか知らないけど)。すっかり心が折れ、途方に暮れてさまよい歩いていると、奇跡的にタクシーを発見。結局、まる一時間以上を無駄にして元の駅に戻る。不思議なことに行列はすっかりなくなっていた。素直に並んでいたらどれくらいで電車に乗れたのか、まったく想像がつかない。
 23時31分発の最終電車に乗る。パチンコ屋の駐車場は23時30分に閉鎖されるとあったことを覚えていたので天竜川駅はスルーし、浜松まで。タクシーで何千円もかけて、25時近くにようやく帰宅したのであった。ああ、明日はクルマを回収しに行かなきゃ。

 帰宅の段階でケチがついたが、隅田川や諏訪湖は雨で中止になっちゃったし福知山ではガソリンが爆発したしで今年の花火大会はいろいろ呪われているので、花火が見れて帰ってこれただけでもよしとしなくてはならないだろう。



130928 一人ドライブ

 花火大会のために、夏休みが始まったばかりの土曜日に帰省した今年の夏。火曜日に妹が来る(旦那は仕事で嫁だけ里帰りとはいい身分だな、おい)というのでせめてその日くらいまでは私もこちらにいたいが、それまでの間どうやって時間を潰そうか。こっちには一度も読んでいない藤子・F・不二雄大全集が何冊もあるが、それはそれとして、夏休みらしいことをしたい。
 そこで思い出した。浜松を出発地として、国道152号線を北上し、酷道を体験しよう。ただしナビやグーグルマップで所要時間を確認し(山道を走るし大いに寄り道予定なので参考にはならないけど)、目的地は起点である上田市ではなく、以前飯田線で行った諏訪でもなく(正確には諏訪市ではなく茅野市を経過している)、まんじゅうと城跡しかなく鳥坂先輩に駄目出しされた高遠とした。

 09:00、出発。この遅さがすべてを物語っているな。
 09:30、国道152号線に入る。利用したことはないが、新東名高速道路の浜松浜北ICはこの通りにある。
 10:00、道の駅・天竜相津花桃の里にて休憩。この近くには歩行者用の橋がある。むかし、ここには橋脚だけがあり、いつ橋が完成するのかとずっと不思議に思っていた。それが建設中止になった旧国鉄の路線の橋脚だったことを知ったのは大人になってからだった。その橋脚が21世紀も間近になってようやく橋となったのだからちょっとした感動だ。
 この日の2日後、妹が帰省してきて家族で秋葉神社にドライブに行くことになりまたしてもここで休憩することになるだが、それはまた別の話。

 やがて飯田線と合流する。嬉しくなってクルマを停めて駅を見ていたところ、ちょうどいいタイミングで電車がやってきた。ああ、私も昔、この鈍行に乗って諏訪まで行ったんだなあ。


道の駅・天竜相津花桃の里の近くの橋。

中部天竜駅の次が佐久間駅で、その次がここ相月駅。

右下から来て、右上に抜けていった。


 やがて道路標識から国道152号線の名が消える。この辺りは場違いなほどに立派な道路ができているが、どうやら三遠南信自動車道として使われる予定らしい。
 三遠南信自動車道といってもすぐにはわからないと思うが、新東名高速道路の現時点における終点で東名高速道路と接続しているだけと思われている浜松いなさジャンクションから地味に北に延びている自動車専用道路のことだ。現在は蓬莱峡までしか繋がっておらず、そのため無料で利用できる。飯田まで続き「三遠南信」すなわち三河と遠江と南信州地方を結ぶ道路となる予定だが、この場所のように道路が完成して無料のバイパスとして使われている区間がある一方でいまだルートすら決まっていないところもある。日本にもう一度バブルが来ない限り完成することはないであろう。

 それはともかく、私は頑なに地図上の152号線を進む。軽自動車では1速でも力不足に感じるほどの山道を、後続車がいないのをいいことにノロノロとそしてブーブーいわせながら進んでいく。エンストしたらどうしようとマジで心配だった。そしてとうとう辿り着いた、天下の国道が途切れている青崩峠に。11:30のことだった。


右が国道152号(になりきれていない脇道)。

途中にあった足神神社。なんと、クルマが数台あった。

ここが青崩峠の遊歩道の静岡県側。

道はまだ続くが、封鎖されていた。徒歩で? まさか!

「しっぺい太郎」って、うしおととらにも出てたよな。

ここ。地図って、すげえ。


 道が途切れていることを確認したので大きい道路に戻り、迂回路を進む。高速道路になるような高規格な区間はとっくに終わり、アスファルトが敷かれているだけマシというワインディングロードを走る。そしてちょうど12:00に、静岡県と長野県の県境に到着する。兵越峠、武田信玄が若き徳川家康を攻めるのに超えたといわれる峠だ。
 ここでは毎年、遠州の代表と信州の代表が綱引きをおこない、領土の奪い合いをしている。私が高校生だった頃に始まったイベントで当時の静岡県内ではそれなりに大きく報じられていたが、愛知県でこれがニュースになったという記憶はない。もちろん、綱引き大会がおこなわれているのがこの峠であることを知っていてここを通ったわけではない。


行政上の県境より遠州側に「国境」がある。く、屈辱だ。

尾根沿いに青崩峠まで行くって? 何時間かかるんだ。

ここ。何度も書くが、地図って、すげえ。


 さらにここから延々とドライブを続け、ようやく集落に出る。どこかメシを食えるところはないものか、とキョロキョロしていると、幸運なことに集落に来てすぐに道の駅・遠山郷を発見。ここで昼食を取る。また、南信州のパンフレットを入手。記録によると12:40着、13:20発。


兵越峠の迂回路からまた国道152号に戻るところの標識。

道の駅・遠山郷。


 さらに北上すると再度152号が途切れるエリアにやってきた。行き止まりまで行きたかったが、私有地と書かれていたので途中で戻った。そこまでの間にはキャンプ場があった。好き好んでこんな田舎まで来ている人もいるのだな、と、用事もないのにここまで来ている自分のことを棚に上げて感心した。
 また広い道に戻ると、やがて立派なインターチェンジにたどり着いた。青崩峠のところと同様、将来は三遠南信自動車道として使われるのだろうが今はこれを通るしかないということか。私はつかの間の快適なドライブを楽しんだ。それが間違いであることを知らぬまま。

 おかしい。国道152号を迂回するにしては道がまっすぐすぎる。しかも、ナビをノースアップで表示させていたので気づいたのだが、我がクルマは西へ西へと進んでいるようだ。信号のあるところでナビの縮尺を調整して確認したところ、飯田市のあたりに来ていたことがわかった。名古屋でいえば大津通のつもりがいつの間にか伏見通を走っていた、というのを距離で10倍、道のりで50倍ほどスケールアップした間違いをしてしまったわけだ。
 済んでしまったことは仕方がない。飯田を楽しもう。飯田といえば飯田線の名所、Ωカーブ。その駅・下山村駅に行こうとした(行ってどうするって? そもそもこのドライブに目的などないのだ)が、ナビで曲がるべき道を間違え、なんと国道153号のバイパスに入ってしまった。153号といえば名古屋や豊田に行く国道じゃねーか! 次のインターチェンジでUターンし、とりあえずは進路を北に戻す。
 体力的にではなく精神的に疲れたので、パンフレットに載っていた元善光寺で休憩。時刻は15:00。ここで両親に、今夜は戻らないことを連絡。
 元善光寺は「牛に引かれて善光寺参り」で有名な善光寺に関係するお寺で、「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」と言われることもある。とはいえ、有名な方の善光寺に行ったことがないのに元善光寺だけ行くなんて、吉田兼好が徒然草でなんやら書きそうな感じである。
 この時私は知らなかった。このわずか数週間後に、有名な方の善光寺にもお参りすることになることを。…って書いたら、信じる? 私は信じないね。


今回は自前に究極超人あ〜るのOVAを見てはいません。

元善光寺。

飯田周辺の走行ルート。

 しばらくは153号を進み、頃合いを見てまた東に進路をとる。国道152号に戻るために。
 その先にあるのが神経をすり減らすだけの酷道であっても、私はそれを避けるわけにはいかない。なぜなら、152号を走ることそのものが目的なのだから。

  続く




131103 孤独ドライブ


 山道を進み、ふたたび国道152号に合流する。ここで私は選択を迫られた。北上し高遠に向かうか、南下し152号が途切れている箇所を確認するか。私は悩んだ。悩んで、当初の目的を完遂することにした。このドライブは高遠に行くのが目的ではない。国道152号を、酷道を走ることが目的なのだ。固い決意で南下し、またここまで戻ってくることにした。

 ひたすら南下。この先は、集落は程度あるだろうが基本的には行き止まりのはず。それなのにそれなりの交通量があったのが不思議だった。流行に疎い私がこんな挑戦をしているくらいだ、酷道ドライブは実は立派に市民権を得ているのかもしれない。行き止まり地点に着いたら誰かに話しかけてみようかな。なんて思ったりもした。
 しかしそれは間違いだった。この先は行き止まりではなかったのだ。この国道152号を南下していくと、国道の指定からは外れるが、地蔵峠では峠道とつながっているのだ。安心したような、ガッカリしたような、複雑な気持ちでUターンする。本来はこの道を南から進むべきだったんだよな、立派なインターチェンジに入らずに。何時間無駄にしたのか計算しようとも思ったが、このドライブそのものが無駄な行動なので計算はやめた。


「秘境 信州遠山郷」の地図。

現在位置は第2の不通区間の根元。

青崩峠を迂回して、兵越峠を超えてきたんだよな。

ここまで(ここから)国道152号。地蔵峠。

見づらいが、16時にここに着いた。


 延々と、今通ってきた道を戻っていく。飯田を南北に進む国道153号から山脈を一つ越えて再度国道152号に合流した地点まで戻ってきたのが16時25分。冒頭の、南下することを決めたタイミングは記録していなかったが、地蔵峠でUターンしたのが16時なので大雑把に計算して50分かけて行って戻ってきたわけだ。


 ここからはただ道沿いに進むのみ。と思っていたが、不思議な出来事があった。この先に分杭峠という峠があるらしいのだが、なぜかそこまでのシャトルバスが出ているのだ(バスそのものではなく、そういう駐車場と案内を目撃した)。いったい、分杭峠には何があるというのか
 実際に峠に着くと、バスを利用していない人たちのクルマがズラッと並んでいた。ますます謎だ。私もクルマから降りて少し歩いてみたが、何があるのかわからなかった。というか、他の人と出会うことが全くなかった。バスや自家用車で来た人は、いったいどこに消えてしまったのか。
 ドラえもんには、のび太や友人の家どころか町全体が無人になってしまうお話がいくつかある。名作『どくさいスイッチ』もそうだし、大長編ではないドラえもんとして最後の作品『ガラパ星から来た男』もそうだ。私はこのときののび太と同様の、孤独の恐怖を感じた。

 後で調べると分杭峠はゼロ磁場なるものが発生するパワースポットとして一部の頭の弱い人たちに人気があるらしい。私には関係のないことです。


駐車禁止なのにこの行列。そして人はいない。

「従是北 高遠領」。ではここより南は? →天領らしい

だってナビには何も描いてないんだもの。ここ。


 その後、美和湖というダム湖のほとりにある道の駅・南アルプスむら長谷で休憩し、17時30分に仮に定めた目的地・高遠城址に到着。当然のことながら、今は桜は咲いていない。
 さあ、これからどうしよう。適当に宿屋を探してもよいが、宿泊してでも見るべきものを思いつかぬ。ならば…帰るか。自分の家に。丸一日かけてここまで来たわけだが、高速道路を使えば何時間で済むのか。これも重要なテーマである。
 駐車場で降りて伸びをして、ケータイで両親に到着を連絡して、写真を撮ることすらせずにクルマを出す。まんじゅうを買うこともない。

 ナビで見てみると、ここからもっとも近いインターチェンジは伊那らしい。飯田の北のあたりで153号から152号へ行くにはクネクネの山道しかなかったが、高遠で152号から伊那の153号に行くには国道が整備されている。
 その道中で、携帯電話をなくしていることに気づいた。赤信号のたびにリュックや脱ぎ捨てた開襟シャツのポケットなどを調べたが出てこなかった。高遠ではケータイを置き忘れるような出来事はなかったので、クルマの中で転がっているのはずだ。どうにかして探し出さなくてはならない。
 それと前後して、もう一つのイベントを思いついた。伊那といえば究極超人あ〜るのOVAの旅の目的地。伊那市駅前に行ってみよう。劇中で西園寺ツーリストがあった場所に実在するという旅行代理店は見つけることができなかったが、ロータリーをぐるりと回って伊那市駅を去る。Googleストリートビューを見ると西園寺ツーリスト(けっこう離れてた)もパチンコ屋もまだ存在するらしいので事前調査をしていれば発見できただろうが、今回のドライブの目的はこれではないので仕方がない。

 高速道路に入る前に、コンビニで休憩。とともに公衆電話で両親に電話し、数分後に携帯電話にコールするよう依頼。無事に携帯電話を見つけることができた。


高遠で撮影した唯一の写真がこれ。

18時10分、伊那市駅前の交差点。


 メモによると、18時30分に伊那ICに入る。飯田を超えたところにある阿智PAで給油および簡単な食事を取り、19時40分発。恵那山トンネルははじめてなので緊張したが、それを超えれば岐阜県。中津川ICには出張で来たことがあるのでそこからは余裕だ。頻繁に休憩を取り、21時に知立のアパートに到着。ということは、浜松から高遠までだと、4時間半くらいかかるのか。
 こうして私の酷道ドライブは終わった。このレポートを読んで、小学生の息子と一緒にドライブに行きたくなるお父さんが一人でもいてくれたら、この上ない喜びである。

  これが全ルート。




131124 パパとママと妹となかよし

 夏休みの続き。
 妹が帰ってきて、私も再度実家に戻った次の日は、秋葉山本宮秋葉神社にドライブに行った。秋葉原の由来となった秋葉神社が東京・上野にあり、また稲城市大丸にある大麻止乃豆乃天神社の中にも秋葉神社はあるらしい。それら秋葉神社の大ボスがここだ。
 山道を走るときはときどき妹に「運転を替わってくれ」と言い、妹が「無理」と即答するのがお約束となっている。


 翌日は御前崎に行くことになった。家族で何度も行っている地ではあるが、道中の案内標識を見て今回は寄り道をすることにした。『センゴク』を読んではじめて知った、つまりそれまではまったく知らなかった、徳川家康と武田勝頼の間で争われた城・高天神城が近くにあるというのだ。赤信号でナビの目的地を変え、また案内標識に注意して横道を走る。
 ところが、高天神城があったらしい一帯に近づくことはできたが、駐車場を見つけることができず、クルマから降りて散策することはできなかった。私一人なら折り返して別の道を行ったりするのだが、今回は家族連れ。元の道に戻り、御前崎を目指したのだった。このとき高天神城跡を見ることができればのちのタモリ倶楽部もより楽しめたであろうに(こっちの地方ではまだ放映されてないけど)
 後で調べると高天神城は今でいう掛川市にあるようだ。今年は花鳥園に行ったり花火を見に行ったりして掛川と縁があるな。

 御前崎ではなぶら市場という魚市場で海の幸を買ったり食べたりするのが常だが、珍しく今回はもっと遠くに行くことになった。浜松からここまで来た国道150号線をさらに進み、焼津インターチェンジの近くにある焼津さかなセンターまで。好きだなあパパ。かなり遅くなったがここで昼食を取る。
 ちなみに焼津という地はヤマトタケルが草薙剣で草を薙ぎ、勝利ポーズで「へへ、燃えたろ?」と言ったことから名付けられたものである。なお、数年前に私が行った草薙神社は焼津ではなく、静岡市と清水市が合併する前は清水市だったあたりにある。


 その次の日は妹が旦那の待つ家に帰る日。浜松駅まで送るにあたり、指定席を買った新幹線が来るまで時間があったため、クルマを停めて全員で駅ビルを歩いて回ることになった。私が大学生の頃はなかったのだが、地下に、東京によくある(名古屋にもある)あのスーパーマーケットができていた。私は思わず「成城岩井が浜松にも来ていたのか」とつぶやく。それを耳にした妹はすかさずツッコミを入れる。「岩井じゃなくて、成城石井でしょ
 な、なんだってー! ずっと成城岩井だと思い込んでいたよ。ほら、商社で日商岩井ってあったじゃん。あれと混同してたんだな。
 ああ、妹は、すっかり東京人になってしまったのだなあ。埼玉だけど。

 以上、とりとめのない話でした。




140119 花火ふたたび、長野ふたたび

 母の花火への想いを聞いていると、どうやら最終目的は大曲の花火(全国花火競技大会)らしい。秋田県って! いくら私が親孝行でも、そんなに簡単に連れていくわけにはいかない。
 そんな中、諏訪湖でおこなわれる花火大会へのバスツアーがごく少数だが空いているという情報が入ってきた。毎年8月15日におこなわれ、今年は開始30分で大雨により中止となって会場のみならず周辺全体が修羅場と化した諏訪湖祭湖上花火大会とは別に、9月にも全国新作花火競技大会なる花火大会があるのだ。
 それくらいなら何かあっても対応できるだろうという考えともう一つの真意を持ち、私も母に同行することにした。つい先日、長野県に行ったというのに。諏訪までは至っていないけど。

 今年の開催日は9月7日。息子の誕生日だ。
 浜松駅を発車する長距離バス(トイレはあるが推奨されない)はそのまま高速道路には向かわない。国道1号線を走り、豊橋駅と豊川駅と豊川インターチェンジ前でも客を拾うのだ。バスの中で弁当を食べ、14時過ぎにSUWAガラスの里なる商業施設で休憩。そこからさらに移動して湖畔にある原田泰治美術館へ。その裏がツアー会社により場所取りされており、そこで花火を見るという寸法だ。むろん料金には美術館のチケットも含まれている。
 15時過ぎに自由時間となり、美術館も見終わったので、母と一緒に街中まで歩いていくことにする。諏訪大社に行きたかったが、時間が読めなかったので諦め、間欠泉センターを目指す。
 少し考えればわかることだが、今日は間欠泉はやっていなかった。花火大会は19時から始まるので、それまでにメシを食べて美術館まで戻ってくる必要がある。ただし当日は屋台は並んでいるが普通のメシ屋はほとんど休みだった。コンビニで弁当を買ってバスで食べようかとさまよい歩いていると、全国展開している「まいどおおきに食堂」を発見。実家の近くにもあるが母は利用したことがないというのでここで早めの夕食を取る。安上がりですんでよかった。


 やがて花火大会が始まる。遠いので迫力に欠けるし音楽は小さくまた遅れて届く有様だが、有料席で間近に見るのと比較してはいけないだろう。
 ここでも「天空のイルミネーション」が演じられたが、曲はWizards in Winterではなかった。
 途中で小雨がぱらついてきた。母が出してくれた合羽は、私が20年前に実家に持ってきたナガシマスパーランドのポンチョだった。さすが我が母、物持ちが良すぎるぜ。その雨は最後の花火の途中で本降りとなり、皆はバスへと駆け込んだ。画竜点睛を欠くといえばそれまでだが、バスの添乗員さんが降水確率は60%と言っていたのがよくここまで持ちこたえてくれたと感謝する気持ちのほうが強い。バスが近いのもありがたかった。掛川みたいに会場から出るのに30分・駅まで30分(晴天時で)だったら泣くに泣けないぞ。


撮影時刻18時16分。まだまだ明るい。

遠いので視認性がよい、と言っておこう。

水上スターマインが売りらしい。


 その後、バスは宿泊地に向かう。このバスツアーの宿泊地は、諏訪湖から100km離れた長野市のビジネスホテル。いくら近くの宿が取れないとはいえ、よくもそんなプランを立てたものだ。好きだぜ、そういう無茶。
 大混雑の中たっぷり1時間以上かけて諏訪湖を半周してインターチェンジまで行き、高速道路を走り、約3時間後の23時過ぎにホテルに着く。その夜に2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。


 翌日は帰るだけ…ではなく、ちょっとした長野観光があった。長野の街中にある観光スポット、それは善光寺。わずか数週間前に飯田の元善光寺に行ったばかりだというのに今また有名な方の善光寺に来ているとは、世の中何が起こるかわからぬものだ。
 バスツアーの一行に寺の説明をしてくれる人がいたが、その人は善光寺の人ではなくおみやげ屋さんの人だった。ひと通り説明してくれたあとに「ここからが重要なことですが」とみやげ屋の宣伝をし、皆の笑いを誘った。


「善光寺」の額には五匹の鳩がいるという。
この山門の2階に登ることができる。

戒壇巡りは暗闇の中を手探りで進むというアトラクション。
いや、アトラクションではないけど。本当に真っ暗。

触れると功徳が得られる回向柱。7年に一度、開帳の際に
建てられ、奥にある低いのは歴代の柱。


 その後、山に連れていかれた。冬はスキーが楽しめるが夏はモトクロスなど客層が限られているため、バスツアー会社と契約していろいろなイベントをやっているのだ。さまざまな地方からバスが来ているが、雨がひどく建物の中にしかいられないので人口密度が異常に高い。滞在時間の半分以上はバスの中で出発はまだかと待っていた。
 15時10分発。今度こそ帰るだけになり、何度かの休憩を経て5時間後の20時30分に浜松駅前着。豊川の人は1時間遅く始まって1時間早く終わるなんてずるい。21時発のバスに乗り、21時30分に家に着く。家では父が話題のドラマ・半沢直樹を見ていた。

 母が望んでいた一連のイベントを私も体験したのは、最後に母にこう聞くため。「これでも次は秋田に行きたい?
 母は答える。「とても無理だわ
 それを聞きたかった、と、ブラックジャックのような感想を抱き、一泊二日のバスツアーは終わったのだった。



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