豊臣の城は黒く徳川の城は白いというが、これは黒い。 |
そうだったのか。波動拳! |
大手前広場にある堀尾吉晴公の像。 |
橋のチラシ(笑)。松江にあると言っても 松江と境港をまたぐ、県境の橋らしい。 ちょいとばかり遠すぎるぜ。 |
ナビが使えないのでスマホを立てかけて使うの図。 |
朱印帳にいただいた御朱印。朱印帳がない場合は 印字した紙ををいただくこともできる。 |
本殿を裏から見てみた。ここに神が住まうのだろう。 |
アメノホヒを祭るやしろ。 |
出雲阿国の墓。 |
稲佐の浜にポツリと存在する弁天島。 地学的にどうなってんの、これ? |
婆ちゃんかっけー! |
日沈の宮。 |
神の宮。 |
大社駅の駅舎。 |
D51。以前は出雲大社に置かれていたんだって。 |
長浜神社の拝殿。 |
「大内★尼子★毛利の…」って、そこに★を使うか! |
須佐神社。 |
もちろんこれら意外にも多くの神話伝承地がある。ルートや時間の制約上、行くことはできなかった。
八本杉 スサノオがヤマタノオロチを倒し、その八つの蛇頭を埋めてその上に八本の杉を植えたとされる地。 八俣大蛇公園 スサノオが斐伊川の上流から箸が流れてくるのを見つけ拾った地。ここからヤマタノオロチ退治の物語が始まるというわけ。
ナビで検索して出てきた場所が微妙に違っており、行くことができなかった。石像などがあるとはいえただの公園なら行かなくてもいいや。八口神社(印瀬の壺神) ヤマタノオロチが飲んだ八塩折の酒を入れた壺の一つを祭る。地図上では山の中にありそこに至る道が描かれていなかったが、道中で看板を見かけたので行くことにした。 天が淵 ヤマタノオロチが住んでいたところ。
などなど。
温泉神社 クシナダヒメの両親、アシナヅチ・テナヅチの墓がある。 稲田神社 クシナダヒメが生まれた地。 尾留大明神旧社地 スサノオがヤマタノオロチの尾を切り、草薙剣を入手した地。 奥出雲おろちループ 伝説とは関係ないけどこういうの知ったら行きたくなっちゃうよな。「無理!時間ないから無理!」と叫びながら交差点をスルーした。
八本杉。 |
八俣大蛇公園を探しているときに見つけた野生のタヌキ。 |
印瀬の壺神。 |
天が淵。「ただの川じゃん」だって? そうだよ。 |
『信長のシェフ』での説明。 |
金屋子神社。隣には金屋子神話民俗館がある。 |
ヒ。「金偏に母」で検索すれば答えは得られる。 |
直線距離だと松江〜出雲は名古屋〜安城と同じくらいなのか。交通量は圧倒的に少ないけど。 |
私が山中鹿介幸盛を鹿之助と表記するのはドラえもんに拠ります。 |
遠くから見ると山頂に城が見えるがそれは富田山荘という 温泉宿であって本物の城ではない。騙された。 |
月に祈る山中鹿之助。 マゾ的な喜びに打ち震えているのだろう、たぶん。 |
八重垣神社。 |
須我神社。 |
忌部神社。 |
黄泉比良坂。 |
「神蹟 黄泉比良坂/伊賦夜坂 伝説地」碑。 |
宗教施設ではないので看板はこんなに派手(笑)。 |
宍道湖は夕焼けの美しさで有名。 |
政之くんは島根富士通に出張したことがあるかな? |
たどり着いたのは正門ではなく裏門だったのかもしれない。 |
寄り道をした上でギリギリセーフとは出来過ぎだ。 |
何時頃にホテルを出て駅に着いたか 覚えていないが、これの撮影は9時半。 |
宍道湖唯一の島、嫁ヶ島はお社のある島。 |
米子発の境線では鬼太郎列車が出ている。 |
伯耆富士こと大山。 |
岡山城の主・宇喜多家の若き当主は元服の際、豊臣秀吉より「秀」の一字を与えられ秀家と名乗り秀吉の猶子となった。猶子といってもあくまで他人、姉の子である豊臣秀次ほどの血の濃さはない。秀吉自身の子である豊臣秀頼が生まれた後に秀次が不名誉な死に方をしたのとは異なり、秀家は宇喜多家の当主として忠誠を誓いつづけている。…ということを知っていたが、別に岡山城に行くつもりはなかった。だが、まだ14時半。他に見るべきところも思い浮かばないしという消極的な理由で岡山城へ行く。
宇喜多秀家が元服したのとほぼ同じ頃、秀吉は義理の甥(ねねの兄の子)を養子とする。秀次の次に継承権を持つとされていたが、やはり秀頼誕生でその運命は大きく狂うことになる。秀吉はこの少年への関心を急速に失い、小早川家の養子に渡される。その少年こそ、のちの小早川秀秋だった。
秀吉が死に、関が原の戦いが起こると宇喜多秀家と小早川秀秋はともに西軍についた。だが、小早川秀秋が裏切って東軍に与したことにより西軍は大敗。宇喜多秀家は八丈島へ流される。
主を失った岡山城を与えられたのが、よりによって小早川秀秋。エグいな徳川家康。
だが、そのわずか2年後に小早川秀秋は狂い死にする。ちなみに宇喜多秀家は八丈島で誰よりも長生きした。
岡山城。 |
『風雲児たち』の宇喜多秀家と小早川秀秋。 |
本丸址公園。 |
高松城水攻之図。 |
『センゴク一統記』清水宗治、自刃の図。 辞世の句は「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」。 |
清水宗治公自刃之阯碑。こことは別に首塚もある。 Google日本語入力によると「阯」は「址」の正字。 |
一部、堤防の跡も残っている。 これは蛙ヶ鼻の水攻築堤阯碑。 |
白い、白いぞ姫路城。 |
城壁には銃眼がある。日本の城では狭間(さま)という。 |
瓦の一つ一つにまで白い漆喰がなされている。 |
最上階には長壁神社が。混みすぎにつきスルーした。 |
播州皿屋敷と関係がある? お菊井戸。 |
西の丸には千姫が住んでいた。庭園もあり、絶景だ。 |
豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地碑。建てられたのは平成時代。 |
大阪城にもエレベーターがあったのか。 |
黒漆に金箔で虎や鶴が描かれている。これは豊臣風。 |
だが下の方は白い漆喰の徳川風。折衷デザインなのだ。 |
虎は位置的に間近で見ることはできないが、鶴は見れる。 |
豊国神社の秀吉像。どうも画像縮小がイマイチだな。 |